2.彼女がだんだんアイツに惹かれて行くのを、ただ黙って見ていたんだ







いつもとなんら変わらない朝。
ジリジリと耳障りな目覚ましで目が覚めて、眠たい目こすって、1階に降りて。
当たり前のようにキッチンに立って、朝食と弁当を作る。

もう慣れたものだ。
高2の男子が毎朝こんな状況ってのも嬉しいものではないのだけれど。
もう仕様がない。


弁当は、迷彩柄の巾着に入れた弁当こと俺様の昼食と。
その隣には、真っ赤な風呂敷に包まれた弁当。






「・・・はあ」






駄目だ、気づけば溜息ついちゃう。…なんだかな。
いまだ2階で眠っているその弁当の主は、きっとなにも知らない。

こうして、俺の朝は始まる。












**






「佐助ー。この本、予約入ってるんだけど中々返ってこなくて…」

「えー?あらー…じゃ、督促状だそっか?」

「うん、おねがいしまーす」






彼女の声に俺はペンを走らせる。その行動はすっかり板についてしまった。

今、俺は(言わなくても分かると思うけど)図書室に居る。
今日は本当は当番じゃなかったんだけど、お人好しの彼女が知り合いの代わりにやることになったんだ。
で、俺は彼女と居たいが為






『なにー?またちゃんたら代理頼まれちゃったのー?』

『うん。いや、だってさー、喧嘩した彼とやっと仲直りできたらしくてね』

『で、放課後デートを堪能してきなよ、って?』

『そうでーす』

『…じゃ、俺様手伝っていい?どーせ暇だし』






てな感じで、さり気なく彼女との時間を手に入れることができたわけ。
暇だとか言ったけど、実は多忙なんだけどね、それなりに。まあ、でもそこは愛のなせる業だ。

本当、彼女は生粋のお人好しさんで。いや、そこが可愛いんだけど。
こういったことは珍しいことじゃない。何度も、何度もある。
その度、俺が手伝ってるんだけどね、んふ。



今は放課後。

図書室は人気(ひとけ)がなくて、俺と彼女と何人かの生徒。
机の上に参考書とノートを広げる人、窓際に椅子を持っていって読書する人。
そんな感じの奴らが数名。

というわけで、すごい静かだ。


けど、俺はこの静かさが嫌いじゃない。

隣には愛しの彼女が。
慣れた手つきでキーボードを打っている。その華奢な指に、つい見とれちゃう。
カウンターで頬杖をつき、彼女の横顔をみる。
俺がじっと見てると、「なーに?」と目を細めて可愛く笑うもんだから
「なーにもないよ」とつい緩んだ頬で答える。



遠くから運動部の掛け声が聞こえてくる。
野球部かな、サッカー部かな。何処からかタッタッタッと駆ける音も聞こえる。
うちの学校の図書室はなんだか不思議な場所にあり、運動部の様子がよく見れたりする。
中庭も見えるし、グラウンドもよく見える。




陽がかたむく。

橙色の柔らかな光が窓から差しこむ。

彼女にかかる。

逆光で彼女の表情はよく見えないけれど、見てる俺は幸せ。



彼女を見てるだけで、心が落ち着く。
彼女を想うだけで、和む。
彼女が笑いかけてくれるだけで、心が満たされていく。

多分(というか絶対)1年前の俺が、今のこの状況を知ったら笑うなー。
ハッ、って感じ。鼻で笑う感じで。それでいて、心の中では軽蔑してそ。
…なんか想像できちゃう俺が憎い。


でも、本当、俺はちゃんが好き。
ぶっちゃけ前までは女遊びが多々あった俺だけど、今は彼女一筋。
これだけは絶対。マジで。誓える。






(・・・俺様って、ほーんと健気・・・)






いつもなら、前までなら、どんどん攻めてたと思う。
けど、今回は本気で本気の恋だから。(うわ、なんか自分で言うと寒い)
いや、でも、冗談抜きで好きなんだよね。

できることなら、今すぐ抱きしめたい。
好きだよ、って言っちゃいたい。ずっと前から好きだった、君のことしか見えなかった、って。
ぎゅっとして、ちゅっとして、なでなでして。
もっと、近くに。


けど、それは叶わない。
本気なだけに、失敗が、拒絶が怖い。今までの俺じゃ考えられないくらいに。
今までの関係が崩れることが怖いんだよ、とてつもなく。


だから、ずっとこの関係。

慎重に、慎重に。守りに守って。でもいい加減、






(・・・さすがに、ツライ、かも)





カウンターにガバッと突っ伏す。視界は暗いけど、その分音がよく聞こえる。

と、






殿!」





いやな、心の臓の音が響く。


その聞き慣れた声は、遠くに居たらしいんだけど此方に近づいてきた。
隣の彼女の気配が、雰囲気が、変わるのが分かった。






「真田くん!どうしたの?図書室に来るなんて珍しいね」

「うむ。辞典を借りていたので、返しにきたのでござる」






十中八九、真田の旦那だ。
そういや、今日の現国で辞典が必要だったらしいけど、旦那は忘れたわけか。

気配が近づいてくる。カウンター越しに居るのが分かる。



俺は今だ、カウンターに突っ伏している。





「そっか。あ、その返却籠に入れておいて!あとで私が本棚に返しとくからさ」

「え、いや、だが」

「いいっていいってー。私、図書委員だしさ。真田くん、部活あるでしょ?」

「!あ、ああ、忝いでござる!」






普段より幾らか明るい声調子の彼女。
普段より(少し)上ずって、緊張して(けどやっぱり楽しそうに)喋ってる旦那。


なんだろう、喉の奥の方が乾いちゃうな。
いつもなら今すぐ顔をあげて「なになにー?お二人してなに喋ってんのぉー?」とかいって、
おちゃらけて、さり気なく二人の会話にも入れちゃいそうなのに。

今は無理だ。喉が、変に乾く。
いやに鼓動が早い。けど、それでいて何処か落ち着いてる俺も居る。






「で、では某はここで…」

「あ、うん!部活がんばってね、真田くん」

「っ、あ、ああ!」






足音が遠ざかる。

突っ伏したままで、ふと目線だけを上に向けて見る。






(・・・あかい)






彼女は今だ、遠ざかる足音の持ち主を見つめているのだろう。
その目元は赤らんでいて、その口元は優しい弧を描いている。
その手には先ほど旦那が持ってきたのであろう辞典。
ぎゅっと抱いて、嬉しそうに目を細めてる。

その笑顔は本当に可愛いのだけど、どこか心が痛む。






(・・・つーか、旦那俺様のことガンスルーですか)






そうだ。隣で突っ伏してる俺がいたのに、旦那は一切そのことに触れなかった。全くもって。
それほど彼女に意識がいっていた、のだろう。
そして、初心で硬派で超奥手なあの旦那が!ちゃんだけは、名前呼び。

きっと、旦那も、俺と同じこと想ってるんだろう。






「…ふあーあ」

「!!」




わざとらしく欠伸をする。
それを聞けば、大きく肩を揺らす彼女。・・・分かりやすいよね、ほんと。

慌ててその手に持っていた辞典をカウンターの隅に置く。
その追いやられた辞典を視界の端に捉えながらも、彼女に視線をやる。






「えーっと、おは、よ?佐助」

「あはー、おはよー♪」






なにごともなかったかのように、普通に彼女に笑いかければ。
彼女は一瞬目を見張ったけれど、次の瞬間にはふにゃりと笑った。

その笑顔に俺は癒されるわけだけど、次の一瞬の間にそれは一気に急降下。






「あ、のさ。真田くんって、甘いもの好き、なんだよね?」

「…―え?あー、うん旦那、ね。ああ、好きだよー。ものっすごく」






そう言えば「そっかあ」とまた、俺のあの大好きな笑みを見せるんだよ。
ああ、くそ。胸が、なんでこんな痛いんだよ。



彼女は旦那が、好き。

それはだいぶ前から、分かってた。一体何時頃気づいたんだっけ?
いつから、彼女が旦那を見る、あの優しい目が嫌いになった。





陽が傾く。

図書室は橙色に染まっていく。

彼女が遠い。

喧騒が、何処からか聞こえてくる。




慶次、アンタ恋っていいもんだよ、って言ってたけどさ。
生憎、俺の恋は苦い味しかしないみたいだ。