わたしは先日、ずっとずっと募らせてきた思いが報われた。
というのも、中学1年生から密かに思いを寄せていた人と付き合えることになったのだ。とある日、その人に呼び出され、告白された。
そのときはもう何がなんだか分かんなくて、頭が真っ白になったのを覚えている。
その人から紡がれた、たった3文字の言葉が私の脳内を染色して、鼓動はアレグロの鐘のように鳴り響いて、
全身の血が勢いよく駆け巡った。これは冗談なんかじゃなくて、本当に。
状況をやっと理解できてきた頭と、いまだに信じられずにいる心。私はただ、「はい」ということしか出来なかった。
そんな幸せな日々を送っているであろう私には、いま不安がある。
ずっと好きだった人(勿論いまも好きな人)と結ばれたというのに、なにが不安なんだとド突かれそうなんだけど
それでも私は不安だった。幸せで、嬉しいからこそ、なのかもしれない。
幸せすぎるからこそ、私は余計不安に思ってしまうのかもしれない。
ふと空を見てみると、わずかに星が見える。紺碧の空、というのはこういうものを言うのかもしれない。
携帯のディスプレイを見てみると6時半。10月も終わろうとしている今ともなると、この時間になれば辺りは暗い。
少し息を吐いてみると、白いそれになって上空へ消えていく。少し、ほんの少し耳が痛い。
周りには人も居なくて、ちらほらと部活帰りの生徒をたまに見かける程度。なんでこんな中、私は校門付近に立っているかというと。
「わ、まだいたのか」
「あ、っと、うん」
突如、私の視界に見慣れた赤が入ってきた。それは私が途方もなく愛しいもので、ずっと思いをよせてきたもの。
こちらを見た瞬間に、目を見開いて言葉を紡いだ。・・・少し、胸がチクリとしたのは気のせいだと自分に言い聞かせる。
丸井ブン太。私がずっとずっと見てきた人で、つい先日付き合うこととなった人。ふわっとした赤い髪、凛々しい瞳。
なのに何処か可愛らしくて、みんなの人気者。こんなこと恥ずかしすぎて本人には言えないけど、本当に本当にそう思う。
丸井くんはテニス部レギュラーで、強い。テニスのことはあまり分からないんだけど、それは分かる。だって、
ずっと見てきたから。
「あー・・・ん。じゃ、帰るか」
私をしばらく見た丸井くんは、どこか気まずそうにそう言う。こうやって待っているのは、今日が初めてじゃない。
テニス部は練習がきついらしくて、終わるのも割と遅い時間だ。立海の部活の中でいちばん長い時間してるんじゃないかな。
帰宅部の私はかなり長い間待つわけだけど、全然苦ではない。むしろ楽しみなくらいなのだけど。
・・・丸井くんはそうじゃないのかな。待ってるの、迷惑だったのかな。
「帰るか」と言った丸井くんは、それ以上は何も言わず歩き出した。私はそれに、急いでついていく。
隣に並ぶようで、少し後ろについていくような距離。この距離はずっと変わらない。私からは、ぜったいに近づけない。
丸井くんから近づいてもこない。だから、この距離。私はこの距離に、いつもキュウ、となる。なんでだろう。
学校を出てから、私たちはずっとこんな感じだ。幸いなことに丸井くんの家と私の家は同じ方向。けっこう長い距離、一緒に帰れている。
最初は嬉しすぎたこのことも、いまでは少し胸が苦しい。嬉しいはずなのに、息が苦しい感じがする。
好きな人と一緒に帰れるというのに、私はどこまで我侭なんだろう。
「今日のお昼ごはん、なんだった?」
「わたし、毎日自分でお弁当つくってるんだよ」
「今日の数学も寝ちゃったよ。難しいなあ。丸井くんは?」
「好きなお菓子はなに?」
「私は駅前のシュークリーム、だいすきなんだ」
いっぱい話したいこと、あるのに。なんで声に出して、丸井くんに伝えれないの。つくづく、自分が嫌になる。
丸井くんが少し喋って、私が相槌を打って、そこで終わり。それの繰り返し。もっと、ちゃんと楽しく喋りたいのに。
カツカツ、とローファーの音が響く。人通りの少ない住宅街の道を、私と丸井くんが歩く。
少し前に見える赤い髪が、歩くたびに視界で揺れる。それとなく上を見てみると、学校で見た空と同じ空が見えた。
少し、泣きそうになった。丸井くんはこんなに近くに居るのに、遠く感じてしまう。
また暫く無言になったところで、丸井くんが口を開いた。
「あー、のさ。さん」
「う、うん?」
「その、さ。これから、俺のこと待たなくてもいいから」
「え?」
少し、私の方を一瞬だけ振り向いた丸井くん。彼の口から発せられた言葉は、私を凍結させるのに充分だった。
言葉の意味は分かる。分かるけど。ごめんね丸井くん、気持ちが、心が追いつかないよ。
そんな私の心境なんて丸井くんが知るわけがなく、彼は言葉を紡ぎつづける。冷たい風が、頬をとおりすぎる。
「別に俺のこと、待たなくてもいいからさ。さん、先帰っててもいいぜ?」
「、え」
「最近幸村くんがやる気すごいし、部活長引くんだよね」
「、あ、うん」
「だからさ、いいよ」
丸井くんの表情は分かんなかった。顔が、見れなかったから。きっと、優しげに笑っていたことだろう。丸井くんのことだから。
俯きげに頷いた私は、きっと見れたものではなかっただろう。
視線は道路にあるままで、私の足とローファーしか見えない。ちょっと汚れてしまったローファーが、なんだか傷をえぐる。
歩きつづけていた足は、そこで止まってしまった。動かなくなってしまった。前方に、丸井くんが歩きつづける。
丸井くんの足音が空に響くような気がする。冷たい秋風が肌に感じる。道路を照らすのは、見慣れた街灯。チカチカと時たま点灯する。
前を歩く、丸井くんの背中が遠い。目頭が熱い。胸が苦しい。視界が霞む。
もう、我慢はできなくなってしまった。
「っう、ぐす」
「え」
ごめんなさい丸井くん。すぐ泣いちゃうような彼女でごめんなさい。
私は必死で声を抑えるけど、それは逆効果になっているようで余計に喘いでしまう。ひっぐ、ぐすと何とも聞いていて居た堪れないような
そんな泣き声が辺りに響く。止まれ止まれ泣くな泣くな、そう心で何度も唱えているのに涙が止まらない。
お願いします、止まってください私の涙。たぶんそんなことはないだろうけど、もしもの場合。もしかすると、もしかすると、
丸井くんを困らせてしまうかもしれない。泣かないで私。そう願うのに、私のしゃくりあげるような泣き声は、悪化するばかりだ。
その場に立ちすくんでしまう。ひざを抱えて、顔を隠す。ああ、またしても逆効果だ。涙が溢れ出てくる。
そんな私に丸井くんは暫く呆気にとられていたようだ。その場にしばらく立ちどまり、かと思ったら私のほうに駆け寄って来た。
立ちすくんでしまった私に合わせるように、その場にしゃがみこむ丸井くん。
「ど、どうしたんだよぃさん。どっか、痛いの?だ、大丈夫か?」そう言って、私を覗き込む。そんな丸井くんに、
またしても私の涙は溢れかえる。なんでそんなに優しいの。
「ご、ごめんなさ、いっ、ぅぐ」
「??え、え?さん?」
「っうぇ、ごめんな、っさ、うぅ」
「な、泣くなよぃ!た、頼むから」
そうだよね、こんな道端でいきなり泣かれたら困るよね。ごめんなさい、でも涙が止まらないんだ。
しかも涙が止まらないことに、私はいままで胸にせき止めていた思いを言葉に乗せてしまった。
「め、迷惑だったよね、っひぐ、ぐす、ごめ、んなさい」
「え?」
「っう、勝手に帰り待って、たりしてごめんなさい・・・っ」
「は、え?」
「丸井くんと、付き合えることが嬉しくてっ、ごめん、なさい、っうぐ。帰り道とか、もっと、いっぱい喋りたいのに。
お昼休みとか、ほ、ほんとは会いたい、し。手、とか繋いで帰ってみたいけど、ま、丸井くん何か、っ遠いって、いうか。
わ、我侭でごめんなさい。で、でも帰って良いよとか、い言わないでほ、しい」
「っ、ちが」
「ほんとうに、我侭でご、ごめんなさい。でも、も、もう苦しくて」
「っ〜〜〜〜!!!」
言い出したら止まらなくて、私の勝手な思い立ちは次々と出されてしまった。ああ、こんなのすごく我侭な女の子じゃないか。
丸井くんには迷惑かけたくないのに、なんでこうなっちゃうんだ。止まってきたと思った涙が、また止まらない。
もう本当、色々と泣きたい。
頭上で丸井くんが「っー」などと何か悶絶しているようで。なんでだろう、なんて呑気なことを少し考えてたりしたら
ふと、私は何か温もりに突如包まれた。思わず、顔をあげてしまう。
「っー、さん!!違うから!!!」
「、え」
「あー!もう、この際だから言うけどな!ぶっちゃけ俺から好きになったのって、さんが初めてなワケ!
だから、なんつーの、どう接していいか分かんなくて。なに喋っていいかわかんねーし、俺のこと喋ったってつまんねーだろーなー、
とか!でもさんのこと聞くのも何か恥ずかしいし。昼休み、俺だって会いてぇよ!楽しく喋りながら、飯食いてぇよ!
だけど付き合って数日だし、それにさん俺と昼食べるのいいのかなーとか考えてたら昼休み終わってんだよい!」
「え、あ、え?」
「帰るのも、毎日だって帰りたい。さんが俺を待ってくれているってだけで、もう、すんげー嬉しい。
でもよ、テニス部終わるの遅ぇし、最近じゃあ暗くなんの早ぇし。帰り道なんかあったら大変だろい?
俺がいる限りは、ぜってー守るけど!!俺がいなかったら、すげえ心配じゃん。
だから、俺の部活なんか待ってねえで友達と早く帰った方が安全だ、って思ったんだよ。手だって繋ぎてぇよ?!
でも、俺だって色々戦ってんの!色々と!繋いでいーかな、でも振り払われたらショックだよな、でも手赤くなってっしな、
でもさん嫌だったら俺立ち直れねー!とか!マジなこというと、名前呼びだってしたいっつの!って呼びてえの!」
「っえ、」
「よーするに!俺、さん大好きだから!!」
そう言う丸井くんの顔はとても真剣で、その瞳には私が映っていた。
心なしか丸井くんの頬と耳は赤くて、私を抱きしめる腕の力が強くなる。私、丸井くんに抱きしめられてるのか。
いつのまにか涙はすっこんでいて、今度は反対に体中が火照るような感覚に襲われた。ああ、ぜったい今の私は
顔が真っ赤なことだろう。頭が真っ白だ。2度目の感覚。怒涛の勢いで紡がれた言葉たちは、ハッキリと私にインプットされた。
どうしよう、また涙が出そうだ。少し目尻に涙がたまる。それを見た丸井くんは、「おわっ、なんでまた泣くんだよぃ?!」
と驚きながら、自分自身の親指の腹でぬぐってくれた。それはとても優しい手つきで、少し震えていた気がする。
「さんに泣かれたら、俺どうすればいいか分かんないんだよ。頼む、泣かないで」と困ったような顔で言う
丸井くんに、私はまたしても泣きそうになる。そういうことだったのか。さっきの「頼むから泣くな」っていう台詞も
そういうことだったのかな。俺も泣きそうになる、と零す丸井くん。なんだか胸が、とても温かい。
「さん、目ぇ瞑ってくれよぃ」
「?う、うん」
言われるがままに目を瞑る。と、次の瞬間私の額に温もりが。少し冷たい丸井くんの手が私の前髪を掻き分け、
柔らかい温もりが額に降りてきた。
思わず目を見開いてしまったのは、当然だと思う。頭は真っ白で、顔は真っ赤で、目を見開いている私に
丸井くんは恥ずかしそうに、はにかむ。
「これが、いまの俺の気持ちで限界。いまはまだ、これで勘弁してくれ」
そう言って笑う丸井くんに、私は思考回路はショート寸前だ。よく少女漫画とかであるような、ベタな表現だけど
それ以外に言いようがないんだから仕方がない。
ああ、私はなんて幸せ者なんだろう。
紺碧の秋空に、冷たい秋風。
さっきまで全てが悲しく感じたのに、いまはただこの景色さえあたたかい。
感じる温もりが、ただ嬉しい。隣で微笑む君が、ほんとうに愛しいです。
リミテッド・ラバーズ
(キミだから、特別なんだよ)
2012.10.27 UP