さん、スマンけど消しゴム貸してくれへん?」

「あ、うん。どうぞ」





そうやって消しゴムを渡せば、隣の人物は「おおきに」と笑う。なんとも胡散臭い笑みだと 私は常々思うのだ。

長い長い夏休みが終わって、みんなが燃えた体育祭が終わって、みんなで笑った文化祭も 終わった。つまるところ、高校生活でのメインイベントは全て終わってしまった。 高校3年生の私たちに残されたのは、受験のみ。学年全体が受験体勢に入っていた。

もちろん、私もそのうちの一人だ。参考書持ち歩いて、テキスト毎日やって、電車で単語カード 必死に読んで。そうやって毎日が過ぎていく。なんだか、寂しくないか。 高校生活はそれなりに青春してきたと思う。けど、もう数ヶ月すればみんなと別れるというのに 今がこんなのでいいだろうか、なんて思ってしまうのだ。

秋や冬は、感傷的になるからいけない。



そんな先日、クラスで席替えが行われた。 私のクラスの担任は席替えを滅多に行わないので、クラス中歓喜の渦だった。 厳正なくじ引きの結果、いまの座席になったのだが。私は、窓側のいちばん後ろだった。 かなりラッキーだと思った。このあとの運を使い切ったんじゃないかと思ったくらい。

それで隣になったのが、さっきの胡散臭い笑みの男子・今吉くんだ。 私がぼーっと窓の外を見てみると、「さん、やったっけ?よろしゅう」と 声をかけてきたのだ。先ほどと同じような、胡散臭い笑みで。 今吉くんとは全然面識がなかった(と思う)ので、隣の席になったときは少し驚いた。 半年近く同じクラスだったというのに、ここまで交流がないっていうのもおかしな話だけど 今吉くんと私は全然違う世界な感じなので仕方ない。





さん、駅前に新しくできた店知っとる?」

「え?ああ、うん。この前行ってきたけど」

「ホンマかいな、ええなー。ワシも行きたいわあ」





そ、そうですか。そのコメントに私はどう返事すればいいのかな? 隣の席になってからというもの、今吉くんはやたら私に話しかけてくる。不自然なほどにだ。 凄く些細なことでも会話をしようと、私に言葉をかける。私は戸惑いながら、相槌を 打ったりする。それがここ最近の日常。





さんはフルーツタルトとモンブランどっち派なん?」

「ふ、フルーツタルト・・・」

「あ、ホンマ?ワシはモンブランやなあ。あ、クリームは黄色やで?」

(私にどうしろと・・・!)














長いようで、短い一日がチャイムによって終わりを告げた。 HRが終われば、一気にザワザワとしはじめる校舎。教室には、まばらに人が散らばっている。 帰宅部である私はなにもないので、いつものように帰ろうと荷物をまとめていたのだが。 ふと、担任に声をかけられた。





ー」

「?はい」

「すまんが、この本を資料庫に置いてきてくれ。じゃ、頼むな」

「え、ちょ」





用件だけ(私が承諾しないにも関わらず)伝えた先生は、ずっしりと重い本の山を 私に託し、さっそうと去って行った。いまだに状況を把握できないでいる私に、 友人が「ドンマイ」と肩をたたく。ああ、なるほどね。暇そうな私に頼んだわけですね。

じ、と自分の手にある本の山を見つめる。まあ、見つめたって本が消えるわけないんですけど。 きっとこれは、何にせよ資料庫に行かなければならないらしい。 すぐ帰れると思ったんだけどな。というか先生、





「・・・こんな量なんだから男子に頼んでよ」

「ホンマになあ」

「っ?!」





突如聞こえてきた声に、大きく肩を揺らす。え、なんで。
隣を見れば、にこにことしている今吉くん。そういえば今吉くんって、いつも目開いてないよね。 ちゃんと見えてるのかな。すごい糸目なのかな。いや、今はそんなことよりも。なんで 私が心の中で思っていたことに今吉くんが返事をしたんだ。と今吉くんを見ると 「自分、声に出しとったで」と笑う。ああ、なんだ。今吉くんがエスパーってわけじゃないんだ。 ちょっと本気で怖いとか思ってしまったよ。

いったい何の用なんだろうと考えていると、ヒョイと視界で何かが動く。 そして、次の瞬間には私の腕にあった重みが消えていた。





「うわ、重いやっちゃなあ」

「あ、ちょ、今吉くん!」

「んー?ああ、これ。さんには重いやろし、ワシ持ってくで?」

「え、いや、でも」





いつのまにか、私が持っていた本たちは隣の今吉くんのもとへ消えていた。 さっきのヒョイ、はこれだったのか。隣の今吉くんは、何事もないかのような顔でコチラを 見ている。さすが運動部、こんなの何ともないのか。

なんて考えて、今吉くんを見れば彼はスクバを持っている。荷物あるのに、本を10冊近く 持っている状態だ。うわ、すごい。いやいや、そうじゃなくて。こんなことしてもらってる 場合じゃない。しかも今吉くんって、バスケ部だったはず。バスケ部って確かウィンターカップ っていうのがあって今も練習してるはずだ。きっとこれから部活だろうに、クラスメイトを 手伝ってる場合じゃないでしょう。

そう言えば、目の前の人物はしばらく考え込む様子。え、なにを考える必要があるの。 数秒経ち、今吉くんの口から言葉が紡がれた。





「せやなあ。ほな、ちょっと持ってもらおか」

「あ、うん」

「ん。行こかー」





そう言って、今吉くんが自分自身の腕にある本を手に取る。片手で10冊近く持ってるって、 腕力凄すぎると思うんだけど。で、手にとった本は一冊で。その一冊を私に渡す。 「ちょっと」って一冊だけ?え、これ私が持つ意味あるんだろうか。

今吉くんに抗議しようと思えば、彼はもう教室のドア付近に立っていて。「置いてくでー」 なんて呑気に言う。なんだか、今吉くんのペースに呑まれてる気がする。調子が狂うなあ、 なんて考えながら今吉くんのもとへパタパタと駆け寄る。駆け寄ったときに見た今吉くんの 顔が、いつもの胡散臭い笑みのはずだったのに。少し格好いいなとか思ってしまった。



二人で並んで、廊下を歩く。 廊下はもう夕日でオレンジ色になっていて、黒い影が目に見える。もう、こんな時間なのか。 何処からか運動部の掛け声が聞こえてきて、今吉くんに「本当に部活大丈夫?」と 聞けば「資料庫と体育館って同じ方向やし、気にすんなや」と笑う彼。それでもやっぱり、 なんだか偲びない。もともと私の仕事(不本意だけど)なのに、ほとんど今吉くんが 持っているんだし。

資料庫までの道のり、教室から現在の地点まで無言だった。さっきの会話くらい。 おかしくないか。だって、教室だと今吉くんすごい話しかけてくるのに。き、気まずい。

なんか話さないと。




「あ、の。今吉くん」

「ん?なんや?」

「その、なんで今吉くんって教室であんなに喋りかけてくれるの?」

「・・・」





うわ、私アホだ。なんでこの話題をチョイスした。明らかなチョイスミスでしょう。 今吉くんの方を見てみれば、なんとも分からない表情。いつもの細い糸目。口は、 心なしかポカーンとしてる気がする。これだと私が、今吉くんが喋りかけてくれるのを 気にしてるみたいだ。こ、これは誤解を招かないようにしないと。

そう思い、「いや、これは」と私が口を開きかけた瞬間、隣で「ぶ」と聞こえてきた。 え、「ぶ」って今吉くんが吹き出したの?ワケが分からず、私は頭上に疑問符を浮かべて 首を傾げることしかできない。





「なんでやろな?」

「え」





そんなの私が聞きたい。私が聞いているのに、聞き返さないでほしい。どう答えたものかと、 視線を右往左往させる。そうすれば、また隣の今吉くんは笑う。今度は吹き出すんじゃなくて、 なんだか嬉しそうに目を細めて笑う(いや、いつも目細いけど)。あの、胡散臭そうな笑み。

まだ歩いているはずなのに、なかなか資料庫につかない。グラウンドからは、 運動部の元気な掛け声が聞こえてくる。





「イタリアの有名なことわざ、知っとる?」

「え?」

「『隣人を愛しなさい』、いうんやけど」





そう言って、一瞬今吉くんの目が見えた気がした。綺麗な、青がかった黒い瞳が。 状況が把握できない。目の前の彼は、いったい何を言ったのだろう。「まあ、意味はちょお 違うけどな」と笑う今吉くん。おかしい、いつもの胡散臭い笑みのはずなのに。

すごく、ドキっとしてしまった。


どうやら、私の遅すぎる青春がやって来たらしい。 私が彼の試合を見に行くようになったりするのは、そう遠くない話。









Ama ll prossmo tuo te Stesso.

(隣人に愛されてしまった)
















2012.11.07 UP  ずっと前から好きだったんだよ、って話。