突然だが、あなたは全く以って関わりのない人間に殺意を向けられたことがあるだろうか。 もしかすると痴情の縺れであったり、八つ当たりにも似たような殺意であったり、通り魔や辻斬り といったものであるなら有り得るかもしれない。そうだな、先ほどの文を訂正するのであれば 「同じ学び舎にいる一応は同学年であるが関わりは全くない認識ある異性に殺されかけたことがあるか」 。恐らくは、ないであろう。そんな理不尽があってたまるかという具合である。 しかしながら、私の今現在の身にはそのことが起こっているわけだ。
彼、尾浜勘右衛門は忍術学園五年い組に在籍する忍たまである。少しながら特徴的な、丸みの帯びた毛先の
髪を一つに束ね揺らしている。顔はその年には不相応な幼さを残しており、笑みを浮かべると口元をきゅっと
可愛らしげに結ぶのだ。しかし、その体はしっかりとその年相応になっており、筋肉はしっかりとついているし、
その手であるとかは骨ばっている。いつも同じ組の久々知や、隣の組の鉢屋や不破や竹谷といった面々で
楽しげに談笑しているのをよく見かけた。
何故、くのたまである私がそんなにも彼のことを知っているのかというと、その答えはごく簡単であり、
想像に難くない。いつの日からだったか、彼に思いを寄せるようになったのは。
忍たまとくのたまは同じ忍術学園という敷地内にいはするものの、その関わりは全くない。
委員会であったり、恋人がいるのであったりするならば別問題であるが、生憎私は忍たまとそういった関わりはない。
いくらか例外をあげるとすれば、食堂で居合わせたり、忍たまとくのたま合同の野外実習だろうか。
それでも私はなるべく忍たまと居合わせない時間に食堂へ行ったりする(野外実習はどうしようもないので
なるべく喋らない)。なにか理由があるのかと聞かれるが、特段なにもありはしない。
まあ、私の話はどうでもいい。今は彼の話である。
私は彼に淡い恋心を抱いているわけであるが、どうやら私は彼に嫌われているらしい。
ほら、こうやって。
シュンッ、と空を切って鋭く飛んだ苦無。それが飛んだのは、今さっきまで私が居た場所で。
的確に、私の顔の眉間を狙っていたのがわかる。末恐ろしい技量だなあ。
ちら、と声のした方を見れば無表情の群青色。その格好を見ると、彼が今先ほどの苦無を投げたのは明らかだ。
なんだ、と独りごちた割には、残念そうな色は見られない。
私も自身の苦無を取り出し構えに入るが、その途端に目の前の彼も勢いよく地を蹴り、こちらへ向かってくる。
その勢いに、私は瞬きをする暇さえ与えられない。絶え間なく続く攻撃に、必死で応戦するも、明らかに
こちらが不利だ。山本先生は、なぜ忍たまと合同の野外実習などやらせるのか。女である私たちくのたまが、
男である忍たまに勝てるはずなどないのに。
少し考え事で意識を飛ばしたせいで、ぴっと私の頬に赤色がはしった。っち、油断した。
すかさず脚を繰り出し、彼の横腹に勢いよく入れる。まあ、だが案の定そのパターンは見限られており。
彼は腕で防御し、反対に足技を繰り広げることでがら空きになった私の一方の体に容赦なく蹴りを打ち込む。
渇いた声で嗚咽し、体勢を整えようとするがそれは叶わず。地に叩き伏せられ、馬乗りされ、
ひんやりと冷たいものを首筋に当てられた。なんとも完璧な一連だ。
首に苦無を宛てがわてれいるというのにも、私の思考は至って冷静だ。それはこれが忍術学園内での実習であるから 殺されはしないだろうということと、もうこの行為に慣れてしまったというのもある。 私に馬乗りし、苦無を宛がっている彼の眼は分からない。殺意はこもっていない。その両の目に私は映っているはずだが、 どこを見据えているのだろうか。どれくらいだったか、お互い無言がつづき、この状態から解放されたのは 遠くから授業終了の鐘が鳴り響いたときだった。
普段の彼とは目線すら合わない。学園内でも外でも勿論、見かけること自体少ない。その少ない中、 彼が私に気づくことは滅多に、全くといってもいい、ない。だが、極稀に、百分の一ほどの確立で彼と 私の目が合ったとき、彼の目には殺意にも似たような何かがこもっていた。いや、殺意ではない。 だが、恐ろしく背筋が凍えるような、思わず泣き出したくなるような、心の臓を鷲掴みされたようだ。 無性に、泣き出したくなる。
その日は、野外実習だった。忍務を仮定としたものだ。ほぼ実戦に近いもので、とある城から城の見取り図を
奪ってくるものであった。その忍務自体は特別に難しいものではなく、割りと盗り易いもの。
着々とこなし、無事に見取り図も奪い、帰路についたときだった。ほんの一瞬の油断がいけなかった。
城の忍びに、後をつけられた。なんとか振り払おうと足を速めたが、中々に相手も俊足の持ち主であり、
私の意は叶わず。やむを得ず戦闘という形になったのだが、プロに敵うはずがなく。
あっさりと私の体は地に叩きつけられた(なんてデジャヴだ)。
忍びは少しも顔を歪めることなく、忍び刀を振りかぶった。ああ、なんて呆気ない人生だったんだろうか。
思い人には殺されかけるわ殺意に似た目を向けられるわ、仕舞いはささいな油断が招いたものか。
仕方がないか、と目を瞑り意を決する。
どうせ生きたところで、彼にまた殺されかけ、あの目を向けられるのだ。ならば死ぬのも悪くない。
だが、一向に痛みはやってこない。それとは逆に、蛙の潰れたような声が聞こえたのちに、
飛沫があがる聞きなれた音が聞こえる。
そろり、と目蓋を上げると、彼が立っていた。足元には先ほどの忍びが血にまみれ横たわっている。
彼の手には赤く光る忍び刀。ああ、彼が殺したのか。
彼はまっすぐと此方を見据えている。何故彼がここにいるのだろうか、何故私を助けるような真似をしたのだろうか、
疑問は尽きないがそれらを彼に尋ねることはできない。相変わらず私を見下ろし、その場で
立ち尽くしている彼に私からは何も言えない。息が詰まる。
突然、彼の口が開き、言葉を発したものだから、心の臓が止まるかと思った。え?彼の言葉にも 私は言葉を詰まらせる。勝手に、とはどういうことだ。死ぬのにも彼の許可がいるということなのか。 いやいや、そんなのおかしい。お門違いだ。そもそも、彼は私が死ぬことを望んでいたのでは? 相変わらず彼の顔に表情はない。そもそも、彼は
「私のこと嫌いでしょう」そんなの知らないよ、って。ああ、またその目だ。泣きたくなる。 でも、いつもと違うのは彼の口元が少し悲しそうに歪んでいることだ。なんだか目元もいびつだ。
お前のこと考えると何も考えられないんだよ、じわじわ俺の心を蝕んでいくんだ。そのくせ俺のことには
関心がなさそうだし。他の女は俺のとこに来て、ひっついて、やかましくて、厭らしく俺の腕に胸ひっつけたり、
俺の名前を気安く呼ぶのに。お前はなんなの。俺のこと、見ないじゃないか。苦無をお前の首に宛がっても、
お前のことは分からない。他の女は悲鳴をあげて、涙を浮かべるのに。お前のことなんか知らないし、
会うこともないし、視界に入れようともしてないのに、俺の中に入って来るなよ。今だって、お前が忍務で
忍びに殺されそうな場面に出会って、お前のことなんか知らないし無視して暖かい寝床で寝ればいいのに、
お前のことなんかどうでもいいんだよ。お前がどこで野垂れ死のうが、誰に殺されようが、どうやって死のうが
関係ないはずじゃん。どうでもいいじゃん。なのにさあ、いつの間にか助けてるとかあり得なくない?
俺のこと見てるくせに、見てないし、近づかないし、名前も呼ばないし、なんなんだよ、一体全体。
ほんと、意味わかんない。ほんとさあ、、
私のほうを見向きもせずに、彼は息もせず言葉をつむぐ。こんなに彼が私に話しかけるのは初めてだなあ。
言いたいことを言い切ったのか、ふたたび彼は口を閉ざした。そしてそれを見て、私の口は無意識に動く。
その途端に、彼は顔をあげる。