あれは忘れもしない出来事だった。 いつもの通り学校が終わり、勘右衛門たちと遊んで、あたりも大分暗くなり始めた頃。 特別急いでいたわけではないが、いつもとは違う帰り道を選んだ。人工的な光が目に痛い、やけに 喧しい繁華街を通る道だった。時刻は夕飯時を過ぎたころだったから、酔っ払ったサラリーマンが多くて、 酒臭いな、だなんて思って俺は人の間を通り抜けていたわけなんだが。
「おう、なんだニーチャンひとりかぁ?」「オッチャンたちと遊ぶかぁ?!」
なんで俺はこの道を選んだんだと、やっぱり後悔した。完璧に出来上がってる、顔の真っ赤な中年サラリーマンに 絡まれた。甲高い笑い声が癪に障る。俺は昔から、(勘右衛門曰く)端正な顔つきのせいでこういう輩に 絡まれる。別に珍しいことでもない。だが俺はその手の気は全くないし、ただただ迷惑。けれども、 向こう側が俺の心情を察してくれるわけでもないので、このような被害は絶えない。酔っ払いには何を 言っても無駄だろう、と無視をしてさっさと去ろうとしたのだが、それは出来なかった。 こいつらが俺の腕を掴んだからだ。途端に虫唾がはしる。殴ってでもこの場から逃げ出したかったが、 案外(というか酔っ払いにしては)ずいぶんと力が強く、振りほどけない。酒臭い息に、どうしてやろうか と思ったときだった。
「すいません、連れに何か用ですか」
聞きなれない声だった。凛とした、それでいて無機質にも捉える事の出来る声。声のした方を見れば、
ひとりの女子高校生が立っていた。その制服は俺が通う大川学園のもので、ネクタイの色から察するに
俺と同じ学年だろう。
いつのまにか俺の方へ近寄り、オッサンどもを一瞥する視線。その視線は怒りに満ちているわけでもなく、
焦りがあるわけでもなく、ただ淡々としている。そんな彼女にオッサンどもは「おお?なんだねーちゃん、
邪魔すんじゃねぇぞお」「それともねーちゃんが相手してくれんのかぃ」と何とも癪に障る声で笑う。
オッサンが俺の腕を掴む力を強め、俺が思わず顔を顰めたときだった。
「さっきからいちいちウルセェなぁ、しつこいんだよ!」
相変わらず淡々と告げる彼女にオッサンの一人が殴りかかり、「これはやばい」と俺は思わず声をあげそうに なったのだが、それは杞憂に終わる。何故か?次の瞬間にオッサンの体が地に叩きつけられたからだ。 ふわり、とほんの一瞬だけ浮いた後になんとも痛ましい音をあげてオッサンの一人はコンクリの 道路に伏せた。時間が止まったかのように思えた。いったい何が起こったのだと、俺を含め周りの人間は 呆然とする。ただ一人彼女だけが、ふぅと息をついてからこちらを見て一言。
「お引取りください」こうして俺は、彼女・に恋をしたわけだ。
*
あの後に俺に何かを言うわけでもなく、すぐに彼女は立ち去った。俺はどうにかしてお礼をいい、
そして何とか彼女と繋がりを持ちたい一心で、友人たちの情報網を頼りに彼女・を探した。
と言っても、「凛としていて飾り気のない、なにか武術に優れたウチの学園の2年生」という情報を言えば、
すぐさま三郎が教えてくれたんだが。三郎によると、クラスは3組で実家が古武術の道場だという。
道理であの強さ。用具委員らしいということで食満先輩に紹介してもらうという形でお願いをし、
紹介してもらい、まずはあのときの礼を言う。だがは特段気にしているというわけでもなく、
「同じ学校の人が困っていて、知らぬ振りはできないと思ったから」と一言。お礼を言われるようなことは
してないよと少し笑う彼女に、俺はもう完全に落ちたわけだ。そこから何とかかんとか頑張って、
メアド交換して、話しかけて、少しずつ親密になって。そしてどうにか、今やっと俺はの恋人という
ポジションに立てたわけである。
「あ、くく、じゃなくて兵助」
授業が終わって放課後になり、それぞれが各々の場所へ向かおうとガヤガヤしだした教室。俺はすぐさま
の教室へ向かい、彼女の姿を見つけては声をかける。今日は確か委員会はないはずだ。つまり、今日の
はフリー。俺の声に気づき、こちらを向く。まだ名前呼びには慣れていないのかどもるが、
そんな彼女にも俺の口元は知らずのうちに緩む。付き合いたてのときも暫くは「久々知くん」だったんだが、
俺がお願いして名前を呼んでもらうことになった。名前を呼んでもらうたびに嬉しくなる俺は、とんだ
オトメンだ。
教室に入り彼女のもとへ寄れば、周りがざわつく。これは付き合いたてからずっと変わらない。まあ、そりゃあ
俺が自ら恋人の名前を呼んで教室にわざわざ迎えにくるのはが初めてだし、ざわつくのも仕方ないか。
でもまあは全く気にしていないみたいだし、俺も気にしない。
「うん、委員会もないしね」
「じゃあ帰りにどっか寄らないか?」
そう、俺がに告白をし、付き合ってから数週間は経つが俺はいまだに彼女とデートをしたことがない。 それは俺の委員会であったりの委員会であったり、はたまた彼女の道場の用事であったりで中々二人の 用事が合うことがなかった。の用事が入るたびに彼女は申し訳なさそうな顔をするんだが、俺はもう 毎度ショックを受けていた。悲しいというか、用事が合わない俺が恨めしいというか。やっぱり、恋人に なったからには一緒にいたいし、だからデートもしたい。なんか買ってやりたいし、むしろお揃いのものも買いたいし、 一緒にデザートなんかも食べたいし、お勧めの豆腐デザートだって教えたいし、ゲーセンに行って 実はクレーンゲームが得意だってことも教えてやりたいし、知って欲しい。以前の俺だったなら面倒だと 思っていたことも、となら何だってしたいのだが。
「ごめん、兵助。今日は父の手伝いをしないといけないから、道場にいないとダメなんだよ」
神は俺に恨みでもおありか。何故こうもとデートができないのだろうか、これは一種の呪いだろうか。
たぶん八左ヱ門あたりだな。許さない。
だが、家のことならば仕方ない。俺は古武術をやっているに惚れたのだからここで我侭を言うのは非常に格好がつかない。だが、肩を落とすのくらいは許してくれ。
小さくため息をついて肩を落とし「・・・そっか。まあ、それなら仕方ないよな」と言うのだが、
如何せんショックだ。これ以上を困らせてもいけないと、俺は顔をあげ帰ろうかと言おうとしたのだが、
目の前のは何かを考えているようだ。どうしたのだろう、と少し様子をみてみると「うん」と頷き、
俺の方を見据えて言う。
「・・・えっ?!?!」
果たして今のは幻聴だろうか。とても俺にとって都合のいいように聞こえたのだが。 自分の頬を抓ってみても、じんと痛むだけだ。
「いつも用事が合わなくて、ほんと兵助さえ良かったら、なんだけど。私は父の手伝いをするけど、 結局は手伝いだから手をずっと離せないわけではないと思うし。まあ、つまらないかもしれないけど」そう言って苦笑いする彼女は、ほんとうに現実だろうか。夢じゃないよな?からの誘いならば俺が 断るわけはないし、しかもまさか自宅へのお誘いだ。道場、とはいえ彼女の実家に変わりはない。 突然のお誘いに俺は動揺を隠せない。きっとにしてみれば何ともない、ただのいつもの埋め合わせのような感覚で言ったのだろうが、 もう俺にしてみればとんだ問題発言でもう、俺の中の色々なものが爆発しそうなかんじなわけですよ。 しばらく黙っていた(俺はどうにか 現状を整理しようと一杯一杯だったわけだ)からか、「やっぱ来ない?」というの言葉に勢いよく 首を横に振る。行きます、行かせていただきます。
まだ今の俺では古武術に優先順位では勝てないが、いつかきっと勝ってみせる。古武術一筋の彼女に 惚れたのは俺なのだ。まだまだデート以上の発展には遠いけれど。いきなりのお父さんとの対面になるが、今の俺には怖いものなんてない。お義父さんと呼んだほうがいいのだろうか。
2014.10.25 吉切