いつも通り委員会が終わって、教室に戻ると見慣れた顔があった。いや、机に顔は伏せっているから
正しくは「見慣れた後姿」かな。教室の窓側の端の席に、ぽつんと寂しげな後姿。その背中は
なんとも弱々しく、頼り気がない。もうそろそろ秋も終わりであるから、暖房のついていない教室は
きっと暖かくはないだろうに、その人物はただじっと動かないでいる。それが何かを耐えているかのようにも
見えて、あまりにも動かないものだから死んでいるのではないかと、少し思ってしまう。
わざとがらりと音を立てて後ろ手に戸を閉めれば、むくりと目線だけをこちらに向けるその人物。
その目元は僅かではあるけれど、確かに赤く腫れている。どうやらまた、らしい。
相変わらず口が悪いんだから。少し肩を落としてみせ、の方へと足を進める。乾いた床に
キュッと内履きの底が鳴る。は相変わらず机に伏せたままではあるけれど、僕が近くにあった椅子を
寄せて座ると、こちらへ顔を向けてきた。うん、やっぱり目元は赤い。
少し肌寒い教室には僕としかいない。下校時間はとっくに過ぎているはずだけれど、はここにいる。
僕は相変わらずの不運のせいで色々ごたつき、委員会が長引いてしまったからだけど、は
違うだろう(彼女は帰宅部だし、彼女の図書委員の当番は今日ではない)。理由は分かりきっているのだけど、
一応聞いてみるかなと口を開きかけたが、意外にも(とか言ってみる)のほうが先に口を開いた。
フラれた、と小さく呟いて鼻をすするはひどく弱っていた。フラれた。の口からこの言葉を聞くのは 決して今日が初めてじゃない。何度も、何度も聞いている。それがが幾度となくフラれているのか、 はたまたその少ない数のときだけ僕に報告しているのかは分からないけれど、僕は何度もから 「フラれた」という言葉を聞く。僕とは世間一般でいう幼馴染という間柄なわけで、幼稚園から 今現在の高校生に至るまでずっと一緒にいるけれど、は告白してフラれるたびに僕のところへ来る。 これで何回目だろう、と思うけどきっとそれなりの数だ。
の声は震えている。きっと泣いている、いや泣くのを何とか堪えてるのか。昔から人前でだけは 泣きたがらないだけど、それは今も顕在らしい。相変わらずだなあ、とひっそり苦笑を漏らす。 顔を伏せてまた動かなくなったを僕はただ見つめる。校舎にはきっと誰もいないのだろう、 誰の声も気配もしなくなった校舎に、たまにの鼻をすする音が響くだけだ。
それはきっと僕への問いかけなのだろうけど、声の調子からすると自分への問いかけにも思える。
僕はのその言葉に頷くでもなく、否定するわけでもなく、なにか言うわけでもなく、ただ静かに
を見つめるだけだ。
の恋が何故成就しないのか。その答えはいたってシンプルだ。それは僕が色々と手を回しているから。
始まりはいつだったかは忘れたけれど、確かがはじめて恋をしたときだった。
可愛らしいピンクの頬をいつも以上に染めて、嬉しそうに目元を細めて僕にこう言ったのだ。「伊作、
わたし好きな人ができたんだよ」と。その瞬間、僕の世界は暗転。なんてことだ、に
好きな人ができるだなんて!とてもショックだったけれど、僕はすぐさま、なんとかしないと、という
衝動に駆られた。そう思ってからは行動は早い。それとなくから好きな人物の名前を聞き出し、
ぼくはそいつにちょっとお願いするだけだ。「に手を出せばどうなるか分かってるよね?」
どうやらみんな聞き分けがいいらしく、どいつもこいつもに告白をされても決してOKはしなかった。
一度だけ、僕のお願いを聞かずにの告白を受けた馬鹿がいたんだけれど、本当あいつは馬鹿だったね。
しばらく学校に来なくなってから、ちゃんとに別れを告げたみたいだけど。
最近は僕に忠告をされた奴らが噂をしているのか、僕がお願いをしなくてもほとんどの奴は彼女からの
告白を断っているらしい。物分りがよくてこっちは助かっている状態だ。
そう、僕はに恋をしているのだ。が誰かを好きになる、ずっとずっと前から。
それなのに、は全然僕の気持ちに気づきもしない。鈍感だとは思っていたけど、本当に鈍いよね。
そう言って、ちょっと不満そうに唇を尖らせるの調子はさきほどよりは幾らか明るい。
どうやら吹っ切れてきたらしい。これで帰り道にの好きなチョコレートでも買ってあげれば、完璧だ。
僕はを決して慰めたりはしないし、励ましたりもしない。告白をする、と意気込んでいようと
決して応援なんかしてやらない。僕から何かを言ってやることはない。これだけフラれているにも
関わらず、僕がずっとそばに居るにも関わらず、は知らないやつに恋をする。それが本当の
恋だとしても、一種の錯覚だとしても、僕はそれを良しとはしないし、フラれるたびに彼女は僕の元へやってくる。
留三郎はこんな僕のことを「性格が悪い」と言うけれど、それを言うならのほうがよっぽど酷い。
僕にしないだなんて、本当に馬鹿だなあ、は。そんなところも可愛いんだけれども。
いまだ目元が赤いの、少し冷えた指先を絡め取って、教室を出る。外はすっかり暗くなっていて、
星も見え始めていた。僕がにこの思いを告げるか、が僕を好きなってくれるかをしない限り、
この茶番はずっと続くだろう。そのたびに彼女は他の誰でもない、僕のところへやってくるのだ。
そうして、フラれた、とか細い声で顔を歪ませる彼女を見るたびに、僕はにんまりと口元を緩める。
ああ、小躍りしたいくらいだ。