「・・・さみ」
そう呟いて、白い息を出せば白い息がゆらゆら揺れる。
行き交う人々。いま俺は、とある店の前に立っている。
通行人がチラチラと俺の方を見てくるが、そんなこと気にも留めねえ。
ふと腕時計を見てみると「5:57」という表示が。
(・・・まだかな)
いま、俺は人を待っている。大事な人を、だ。じゃねえと、こんなクソ寒い中待ってない。
そわそわと、しちまう。無意識だ。
腕を組んで、トントンとつま先を鳴らす。まだかまだかと、俺の心は疼いて仕様がねえ。
空は鈍色。どこまでも曇っているはずなのに、どんやりとはしていない。
それは俺の心の問題かもしれないが。
*
「・・・え?さん、仕事なんスか」
ことの始まりは今日の昼。
いつも通りトムさんと仕事して、一段落ついて、飯食って。
本当は今日は休みのはずだったんだが、急遽仕事が入った。
別に大した用事はなかったから困りはしなかった。
いや、困りは、しなかった、んだが。
実は今日、彼女と過ごそうと思ってた。つーか、俺が過ごしたかった。
そりゃ、バレンタインだし。俺だって好きな人と過ごしたいし。
彼女の名前は、さん。
俺より2こ上で、学校の先輩だった。(1年しか一緒に居られなかったが)
初めて逢ったのは、もちろん入学式で。
言ってしまえば、在校生代表で歓迎の言葉を言ってたさんに一目惚れ。
それから何度か会うようになり(俺が会いに行ってたんだけどな)、話すようになり。
次第にはお昼とか、放課後いっしょに遊ぶ仲にまでなった。
…門田と新羅と、ノミ蟲が居たのは非常に腹立たしかったが。
俺とは何もかもが違ったさん。もう次元が違った。
頭良いし、人望あるし、なんでもこなすし、運動できるし、か、かわいいし。
そんなさんが、どんどん好きになっていった。さんと過ごす時間だけが楽しみだった。
でも、そんなさんと過ごせるのも1年だけ。
時間は待ってくれない。時が過ぎ、卒業式。決死の思いで俺は告白した。
『っ、さ、ん!す、好きです!!俺と付き合ってくださいっ!!!』
…思い出すだけでも赤面だ。
声は裏返り、顔は真っ赤で、直立不動。恥ずかしすぎて目はつぶっていたし、言い終わったら即ガバッっと腰を曲げる。
『いいよ』
さんは、あっさりしていた。
あっさりと笑顔でOKしてくれたさんと俺は、その日から恋人となったのだった。
(あとから聞いたんだが、先輩は会う内に俺のことを好きになったらしい。)(聞いたときは嬉しすぎて、頭が真っ白だった)
そんなこんなでさんと付き合って5年。
5回目のバレンタインデー。今まではそれとなくさんが俺の元に来てくれて。
で、よく考えると俺から誘ったことはないと気づき。
これは男として駄目だろ、ということで今年のバレンタインは誘おうと思ったんだが!
でも、勇気がなかった俺は言えなかった。電話もメールも恥ずかしくて無理だ!
そのことをトムさんに正直に言ったら、後押しされた。
で、がんばって仕事して早くあがれるようになった訳なんだ。
・・・で、冒頭に戻る。
誘ってみれば、さんも急に仕事入ったらしくて。しかも、大きなやっかいな仕事。
一気に俺のテンションは下がる。
『ごめんね、静。まさか仕事が入るとは思わなくてさー…』
『いや、いいっスよ。仕事なら仕方ないっスから』
そう言いながらも、心では盛大な溜息をつく。
さんは水墨画家。普段はゆるゆるとやっているらしいけど、急に仕事が入ったりするらしい。
俺は絵を書いているさんが好きだし、仕事の邪魔をする気なんて毛頭ない。
けど、やっぱ寂しいモンは寂しい。
でも仕様がない。
そう自分に言いきかせ、さんの仕事の邪魔をしたなと思い「じゃあ、」と言いかけた瞬間
『頑張って仕事終わらせるからさ!6時ごろは、大丈夫?』
『え、?あ、はい』
さんの明るい調子の声が遮った。
…頑張って仕事終わらせる?よく意味はわかんないが、俺は午後はフリーだ。
というかさんのお願いなら死んでも時間合わせる。
どもりながらも俺が答えると、受話器越しにさんの嬉しそうな声が返ってきた。
『そっか。じゃ、それまでに終わらせるから待ってて。待ち合わせは6時にいつものとこで』
『え?あの、さ』
そこで電話は切れた。
なにがなんだか最初は分からなかった俺だが、どんどん思考が現状についていく。
と同時に、口元がにやけるのが分かった。
*
で、現在に至る。
腕時計のディスプレイには「6:00」の表示。
心の浮き立ちは最高潮だ。と、共に少し不安を覚えてしまう。
いつもは5分前には必ず来るさん。なのに約束の時間になっちまった。
よっぽど大きな仕事だったんだろうか。…邪魔しちまったかな。
…もしかして事故に巻き込まれちまったんじゃねぇだろうな…?
変な輩にまとわりつかれたり、凄い渋滞に遭遇してしまってたり。
ああ、やばい。くそ、マジで心配になってきた!
俺が申し訳ないと思うくらいに約束を守るさんのことだ。絶対なんかに巻き込まれたんだろ。じゃなきゃおかしい。
「6:05」
さんはやっぱり来ない。やっぱり何かに巻き込まれたんじゃねえのか。いや、絶対そうだ。
5分遅れるくらい普通かもしれねえが、さんは違う。あああ、心配だ。
とりあえずさんに連絡をいれようと、自分のケータイを手に取る。
と、俺が電話帳のページを開きかけたとき
人々の喧騒を分け、何処か近くの方から言い合う声が聞こえてきた。
「いやー、だからね折原くん。私、いま人を待たせてるんだよ。」
「えー、いいじゃないですか。ちょっとくらい。俺にもチョコくださいよ」
「生憎、今年は本命チョコしか持ち合わせてないよ」
・・・?!
聞き慣れた声に、そくざに耳を傾ける。と同時に、その声の主を探す。
視線を必死に動かせば、人ごみの中に愛しい姿があった。
さんだ、さん。よかった、無事だった。
さんの身に何かあれば、俺はホント理性を失うかもしれない。ああ、よかった。
俺はほっとして安堵の溜息をつく。
が、それも束の間。
「…ノミ蟲」
「あっれー?静ちゃんじゃない」
「あ、静!」
俺が声を発せば、返ってくる二つの声。一つは途方もなく愛しい声なんだが。
…なんでコイツがここに居るんだ。
そう、なぜか愛しいさんの横には忌々しいノミ蟲こと折原臨也の野郎が居る。
まだ池袋に居やがったのか。くそ、思い出すだけでイラつくってのになんで居るんだよ。
つーかコイツ、今の今までさんと話してたよな?なんでだよ、俺がさんと待ち合わせしてたんだよ、おい。
しかもノミ蟲の野郎、さんの腕掴んでねえか?掴んでるよな?俺の見間違いじゃねえよな?
よし、殺そう。いますぐブチ殺す。色々と理由はあるが、さんを困らせたのが一番の理由だ。
いや、さんが助けを俺に求めたわけじゃないんだが。
視線が訴えてる。それに何より、さっきのやり取りで困っていただろう。俺でも分かったんだ。
右の拳に力が入るのが分かる。今なら殺れる。
俺が漲っていると、目の前にいたさんが何時の間にか俺の横に立っていて。
震えていた右手には、温もりが。
その温もりを感じた瞬間、目を見張ってしまう。さんの左手が、俺の右手を包んでいた。
手をつなぐことなんか何回もしているはずなのに、心が弾む。
・・・何回やっても口角が上がっちまう。
「じゃ、そういうわけだから折原くん。私はこれで」
「えー、ざんねーん」
「・・・殺されてえのか、ノミ蟲」
「やだなあ、静ちゃん。冗談じょうだーん」
本当コイツはいちいちイラつく野郎だな…!さんが居なけりゃ、即効で殺してたとこだ。
さんは無意味・無利益・理不尽な暴力が嫌いだと言っていた。
俺はさんに嫌われたくねえから、暴力は抑える。俺だって、暴力は嫌いだからな。
繋ぐ手につい、力が入ってしまう。
(っ、やべえ!)
さんは脆いから、俺が力を入れるとすぐ壊れちまうんじゃねえかと心配になる。
急いで繋いだ手を離そうとしたが、無理だった。
それは、さんが絡める指に力を入れてるからであって。
口が弧をえがく。嬉しい。
「…さん、行きましょう」
「ん?っと、そうだね」
「もう行っちゃうんですか?残念。ばいばい、さん」
「はいはい、さよなら折原くん」
隣に居るさんに促し、その手を引っ張る。
人を掻き分け、歩き出す俺とさん。後ろでノミ蟲がなんかほざいてやがるが、気にも留めねえ。
不思議だ。
さっきまで殺気に満ち溢れていた俺だが、今はどうだ。恐ろしいほど落ち着いている。
隣の存在に。心から安心している。
繋がれた温もりに、俺は笑みを浮かべるのだった。
それから数刻。
今現在、俺とさんは人気の少ない道を歩いている。
なんだか流れ、というか勢いで俺のマンションへ向かう道を進んでいるんだが。
さんは何も言わずに、にこにこしながら俺の隣を歩いている。…これは良い方向に受けとっていいのだろうか。
隣の愛しい存在に、つながれた温もりに頬を緩めていると
急にさんが「あ」と声をあげる。なんだ?
気になって横を見ると、器用に(俺と手は繋いだまま)バッグから何かを取り出すさん。
その手には、綺麗に包装された箱。
水色系のラッピングが可愛らしい。
と、それを俺の方へ差し出し、さんはにっこりと俺の好きなあの笑みで言った。
「ハッピーバレンタイン、静。今年もだいすきだよ」
そう、にこっと笑うさんは、ほんとう
(・・・・いくらなんでも反則だろ・・・?!)
可愛すぎる。本気で可愛い。いや、いつもさんは可愛いんだが。
本気で、特別かわいい。バレンタインは毎年、悶えてる気がする。
笑顔ももちろん可愛いけど、その、言葉がやばい。今年も、だ、大好きだよって、
この人は俺を殺したいのか?
抱きしめたい。いや、だめだ。いまの俺は感極まって、さんの骨を折っちまいそうだ。
あああ、くそ。なんでこんなに可愛いのか不思議だ。
俺は必死で衝動をおさえて、「…ありがとうございます」とお礼を言うので精一杯だった。
きっと今の俺は耳まで赤い。恥ずかしすぎる。
自然と顔は俯いてしまうが、多分さんは分かってて。
くすっと笑うさん。
俺は恥ずかしいんだけど、それでもさん可愛いなとか思ってしまう俺は末期。
恥ずかしさのあまり、早くこの場を脱したくて言葉をつむぐ。
「・・・チョコ、今食っていいすか」
「ん?もちろん良いよー。召し上がれ」
本当は家に帰ってから食べたかったんだが、その、今恥ずかしくて。
俺は片手で開けて・食べるなんて器用な真似はできないので、繋がれた手を離す。
(ちょっと寂しいとか思っちまう時点で、俺は相当重症だと思う)
箱を開けてみれば、形のいいチョコが。
毎年思うんだが、さんのチョコはクオリティが高い。お菓子作りとか料理を作るのが好きらしい。
数個あるうちの一つを指でつまみ、口に放る。
「・・・うまい」
「そ?よかった。静、苦いのの方が好きだって言ってからビターチョコにしてみたんだ」
「・・・マジで美味いっす」
「ふふ、そう言ってもらえると作り甲斐があったよ」
思わずぽつりと言葉がこぼれてしまう。
その言葉にさんは笑顔を見せる。目を細めて、笑う。俺の大好きな表情。
お世辞なんかじゃない。
本気で美味かった。相変わらずの高クオリティで、ほどよい俺好みの苦さだった。
…だいぶ前に苦いのは好きだ、と言ったのを覚えててくれたのか?
だったら、もしそうならば
かなり嬉しい。今年一番で、嬉しい。
こみ上げる思いに、隣で微笑む恋人。
俺を突き動かすのに、それだけで十二分だった。
「・・・、さん」
「ん?・・・―−‐、ん」
恋人の名を呼べば、返ってくる愛しい声。微笑み。
そんなことに嬉しさを覚えながら、顔を寄せる。
さんの唇に、己のそれを重ねる。
短く、それでいて深く。何度やっても、昂ぶる気持ちは変わらない。
ここが往来の場だなんて、すっかり忘れて。その唇を通しての温もりに、軽い酔いを覚える。
そんなキスを何度か繰り返し。
名残惜しそうに、唇を離せば目の前には少し上気した頬のさん。
多分、俺もそんな顔をしているだろう。まだどこか、ぼんやりしている。
「・・・甘い」
「・・・静は、なんだか最近積極的になったね」
つい、言葉がこぼれてしまう。
さんとのキスは、こんなにも甘いものだったか。
・・・積極的。
俺は今まで、その、俺的遠慮していた。
けど、今日ノミ蟲が居ることで改めて分かった。このままじゃ駄目だと。
俺がさんと付き合ってからも、ノミ蟲は付きまとうし。
門田は何気にさんとよく会ってるようだし(というか会いにいってる)
今じゃ、竜ヶ峰や紀田だって。なんかさんのことを慕ってる奴は多い。
付き合ってるからって、うかうかしてらんねえ。
「・・・さん」
「そんな熱のこもった目で見られると、困るなあ」
眉をハの字に下げ、目じりを紅くするさん。
これは、本当に照れてる彼女のクセ。
気づけば俺のマンションは目の前だ。
苦さのあまさ
その夜、さんとあまい時間を過ごしたのは言うまでもない。
チョコが甘くなくても、さんが甘いからちょうどいい。
俺には、これがちょうどいい。
(さん、ホワイトデー期待しててくださいよ)((・・・これ以上になんの期待ができるのかなあ))
遅れて申し訳ありませんんんん、第3弾はDrrr!!より静雄でした!
甘い。甘すぎる。口から砂糖が滝のように出てくる。
続き?吉切が恥ずかしすぎて書けませんよ(真顔)
あとは、お嬢様方の想像にお任せします
なんだか長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださったお嬢様方。
ありがとうございましたv ちょっとでもホコホコな気分になってもらえたら良いな、と思います
2012.07.28 改訂