「ぐぬうっ!ま、また負けてしまった…。」
「これで10敗目だぞ、ユキ…。」
日が傾き始め、空が紅く染まり始めた頃。
キィン!ギン!などの鈍い金属音が響き渡る。
一方はニ双の槍を、もう一方は一振りの太刀で戦っていた。
躑躅ヶ崎舘でとある兄弟が手合わせをしているのだ。
太刀に振り切られ、完璧に防ぎきれず尻餅をつく人物。
真田昌幸が次男、真田源次郎幸村である。
緋色の袴を身に纏っており、その長い茶の髪をくくっている。
そして、もう一つの影。
太刀を振るい、幸村に尻餅をつかせた人物。
幸村の義理の兄、真田蓮久郎幸景である。
幸村とは血の繋がりこそないが、大変仲のいい兄なのだ。
今の今まで、日常である鍛錬を二人で行っていたのだ。
名は馳せずとも、武人の一人。日ごろの鍛錬は怠らない。
「ぬぅ、兄上には勝てませぬ!」
今だ尻餅をついたまま、そう兄の幸景に言う幸村。
その顔は、少し拗ねているようにも思える。
幸村はここ一度も幸景に勝ったことが無い。
幸景は普段勉学に励むことが多いのだが、武家の子として一般教育の武道も心得ている。
元々武道の才があったのか、その実力は相当なもので。
全国各地の武将も一目置いているほどなのだ。
尻餅を突き、拗ねたように愛槍を手放す幸村。
そんな弟に少し呆れたように、眉を下げる幸景。
幸村は決して弱くないのだ。
ただ、戦経験のある幸景が相手では勝てないのも頷ける。
実は、まだ幸村は戦に行っていないのだ。
所謂「実戦経験」を積んでいないという訳である。
「…ユキ、槍は大振りだから隙ができるんだよ。
敵はすかさずその隙を突いてくる。だから、隙を見せないほどに攻めるようにね。」
幸村の傍に腰を下ろし、助言をする幸景。
そう、幸村は筋が良いのだ。
ただ我武者羅に槍を振るうことがあったり、考えなしにすることが多い。
なので隙がありすぎるのだ。
だが、隙をなくすということは中々難しい。
幸村だと尚そう言えるだろう。
そこで、隙を見せてもそこを突くほどの余裕を与えぬようにする…ということだ。
幸景の助言を聞き、先程まで拗ねていた幸村の機嫌が一気に直る。
その顔は爛々と輝き、瞳はまっすぐと幸景を映していた。(なんの疑いもない、まっすぐな目に苦笑する)
頭に獣耳が、後ろに尻尾が見えたのは言うまでも無い。
「な、成るほどっ!!」
「お前は武田の要なんだ、攻撃の要になるんだよ。」
「あい分かったでござる!!」
幸景から助言を貰い、尚且つ『お前は要』とまで言われ幸村のテンションは最高潮になっていた。
ほら、と幸景に手を差し伸べられその手を取り起き上がる幸村。
その顔はとても晴れやかだ。
烏が鳴く。
影がだいぶ伸びてきて、舘からは夕餉の飯の匂いがする。
幸景が先程まで地に置いていた太刀を取る。
そして、ゆっくりと舘へ歩んでいく。
それを見て、急いで愛槍を手に取り後をついていく幸村。
十歳近く歳が離れている二人。
数え7つほどの幸村と、御歳17の幸景。
見ようによっては、叔父と甥など…兄弟にしては離れすぎている。
幸景の腰辺りに幸村の顔が来るほどの身長差。
幸景の横を一生懸命に突いていく姿は、とても愛らしい。
そして、いつのまにか幸景の右手と幸村の左手は繋がれていた。
どうやら幸村が、槍を持っていない方の手で掴んだらしい。
その小さな温もりに、ふ、と笑みを零してしまう。
「兄上が申された通り、武田の攻撃の要となるよう、精進いたす!」
「じゃあ、まず俺に勝てないとなぁ…。」
「ぬう…明日また、手合わせ願うでござるぅ…。」
「はは。」
兄に痛い所を突かれ、幸村が首を竦める。
その様子を見て、苦笑をする幸景。
この弟はいつも一生懸命で、本当に可愛いと思う。
自分には無いところを沢山持っている。
大将の器を持つのは、兄の自分より幸村にあると常々思うのだ。
いつも自分を頼り、自分を慕ってくれる幸村。
それが一体いつまで続いてくれるのか。
続いて欲しいような、でも兄離れをして欲しい気もする。
空を仰ぐ。
乾いた紅い空。
伸びる黒い影。
何処からか聞こえてくる、人々の喧騒。それは喧しいものではなく、どこか落ち着く。
ふと隣の人物に問いてみる。
「…ユキ。」
「む?なんでござるか?」
「俺が居なくなったらどうするの。」
「居なくなる?!兄上は何処かへ行かれるのか?!」
「いや、今はないけど。まあ、いずれあるんじゃない。」
突然の問いかけに目を見張る幸村。
まさかこのタイミングに、こういう話を振られるとは思ってなかったのだろう。
しばらく顎に手を当て、考え込む幸村。
途中「う、うーむ」など唸ったりして、相当真剣に考えて居るようだ。
そんな弟の横顔を見る幸景。
期待をしてる目でもなく、不安を表している目でもない。
ただ淡々と、淡白と、返答を待っている顔つきだ。
どんな返答がくるんだろうと、幸村の顔を見る。
しばらくして、幸村がぱっと顔をあげる。
あまりに急に顔を上げるものだから、幸景は少し吃驚する。
そして、幸景の顔を見るや否やニパッと幸村は笑うのだった。
「…大丈夫でござる!!」
「…なんで。」
「俺も兄上も真田の子!居なくなるはずが無いでござる!」
「……ばーか。」
「ぬっ!?ば、馬鹿とは…酷いで御座るよ兄上!」
「すまん、すまん。」
すまんと謝ってはいるが、完全に笑っている。
どうしても苦笑してしまう。
一方、馬鹿だといわれ、また頬を膨らませ拗ねる幸村。
それは幸村にとってはささやかな抵抗かもしれないが、幸景にとっては可愛いだけだ。
そんな幸村を見て、またしても口元が綻ぶ。
その頭をくしゃくしゃと撫でてやると、嬉しそうに目を細める。
それにつられ、こちらも目を細める。
自分が居なくなったらどうする、と問いてみれば
大丈夫だと答える弟。
その理由にまた驚かされる。
゛自分も兄上も真田の子だから居なくならない゛だ。
この純真さというか、素直さというか…無垢さには呆れを通り越し
軽い感動と同時に眩暈を覚える。
(変な心配をした俺が馬鹿だったかな…。)
そう一人心で苦笑する幸景。
ふと横の弟を見てみる。
弟なら、お館様を支え、上洛への手助けができるだろう。
まだまだ青い部分もあるが…。そういう所を含め、幸村の良いところなのだろう。
「兄上!早く行きましょうぞ!夕餉が冷めるでござる!」
「はいはい。」
いつのまにか幸村は自分の遥か前を歩いており、
夕餉が冷める、と後ろを歩む幸景に呼びかける。
一体、いつの間に手を解いていたのだろう。繋がれていた手を見る。
まだ微かに感じる、温もり。
いつか、これのように幸村は自分から遠くなるのだろうか。
こちらを向き、手を振る幸村。
その姿にまた苦笑しては、その後姿を追うのだった。
(今はまだ・・・考えないでおこう)
- 赤 鬼 と 紅 蓮 の 子 鬼 -
あれから十年。
幸村は、甲斐の虎若子と全国に名を轟かせ
幸景は、「陰将」として戦から身を引いていた。
十年間、二人が離れることはなかった。
それはそれで、なんとも言い難いのだが…。
信玄の元、役割に違いはあれど共に過ごしてきた。
小さなことはあったが、平穏な日々を過ごしていた。
だが、天下分け目と共に二人の兄弟は引き裂かれるのであった。
(俺が居なくても、ちゃんとやっていけよ)(兄上ッ…なにゆえ…ッ!)